阿部薫 / ラストデイト

 No.40

1. アルト・サックス・インプロヴィゼイション
2. ギター・インプロヴィゼイション
3. ハモニカ・インプロヴィゼイション

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラストデイト

阿部薫  1978年                                  ランキングへ


 

死体の上に加えられる暴行。


張りつめたアルトは強烈な死の気配で満ちており、神経の暗闇と音の狭間で絶え間なく虐殺されてゆく時間の中に、不意に極点が煌めくが、誰も自分の見たものをよもや信じようとは思わない。


阿部薫は彼が二十歳となる頃に既に自身の奏法の完全な表現に達していたと言われます。それがどんなに絶望的な事実であるか僕らは単に想像するしかできませんが、はからずも十六歳で己の詩法の完璧に達し三年後に詩からの決定的な決別を遂げたランボーを思い出すようです。芸術の目的とは言うまでもなく現実世界の抹殺であり、それ以上でも以下でもありません。自己の存在が挑戦すべき外界の一対象としてでなく、常に完全なる一尺度であり得た人にとり、この世は既に一介の死体にすぎなかったのではないでしょうか。この死体に彼らは更に暴行を加えようというのです。ここに奇妙な一季節が来ます
(小林秀雄風に言えばね)。彼らの異常に研ぎ澄まされた論理はもはや現実世界に向かうのでなく、彼らの完璧性自身に牙を剥きます。ランボーは言葉の異様な錯乱に達し、阿部は音の異様な解体へと達しましたが、ここには何らの論理的倒錯もないのです。彼らの目指すものは時間そのものへの挑戦であり、それは音楽的あるいは詩的持続と一般にいわれるところのあの美的感覚そのものへの挑戦です。彼らの存在それ自体がそのような暴挙を強いるのであり、あやふやな聴衆の好奇心を惑わすような作為的な動機はありません。そんなものは己の芸術的貧困を痛感している/痛感すらできぬ、他の才人どもに任せておけばいいのであって、彼らにしてみれば他に道がないからしたまでです。普通一般の芸術家が自らの方法を作り上げるように、彼らはそれを破壊したまでです。そしてもう二度と帰ってはこなかった。


本作は曲目を見て頂く通り、アルトサックス、ギター、ハモニカそれぞれのソロ演奏が収められています。
サックスのみの「彗星パルティータ」「なしくずしの死」よりも、まずはバリエーションがあり比較的聴きやすいと思います。


ランボーは三年間の詩作の果てにエジプトの砂漠に消えましたが、阿部は二十九年間というその短い
生涯の最後の日まで、己の身体を酷使し続けることを止めませんでした。あたかも性急な彼の魂が、
一刻も早くその肉体から逃れ出ようとして苛立った、その証ででもあるかのように。

 

 

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